浜田雅功が高校生活を送った学校が凄すぎる!
と、よく耳にする。
日生学園第二高等学校だ。
創立者は青田強。
1980年に設立された日生学園は三重県の青山高原に広大な土地を持つ。
「スパルタ」言っても、男女共学。
という事は、女子もスパルタ教育を受ける。
現在は、青山高等学校に名前を変更している。
1990年代までは凄まじいスパルタ教育で世間を騒がせてた。
まるで軍隊のような団体規律訓練。
生徒同士はストレスから暴〇行為を起こし、自〇者や不信〇を起こす者もいたという。
寮からの脱走も多くあったという。
そんな学校のボス、青田強学長の目指す教育は、「軍国主義」。
時代にそぐわないその教育理念は、当時世間を騒がせた。
しかし、そんな学校に入りたいという生徒もたくさんいた。
と、いうのも大半は親が入れるという形で入るのが多かった。
この時代はいわゆる「高度経済成長期。」
会社で働く社員たちは、働けば働くだけお金が貰え、寝る間も惜しみ働いていた。
このような背景などがあり、この学校もその理念からガムシャラに頑張れという精神で教育を行ってきた。
中学時代、悪さをして怒られた子供達も、「日生学園に入れるぞ」と言えば大人しくなるほどだ。
そんなスパルタ教育校である日生学園だが、野球などの強豪校でもある。
このスパルタ教育を受けた有名人は意外にも多い。
当記事で上げてる浜田雅功をはじめ、後輩芸人の今田耕司、サッカー選手では尾崎瑛一郎や千葉和彦、野球選手だと鮫島秀旗、プロボクサーだと山口賢一などなど。
「浜田雅功の高校生活」
入学前~入学するまでの経緯:
中学時代の浜田雅功は悪だった。
いわゆるヤンキーだ。
中学時代には友達の家のドアノブをノコギリで切り落とすなど、様々な事をしてたらしい。
そんな時代からの悪友で今もタッグを組んでるのが松本人志だ。
中学2年の時に同じクラスになり、そこから悪さを一緒にしながら絆を深めていった。
浜田雅功の担任からは、親子面談で、「普通の高校では浜田雅功は扱いきれない」
と言われ、先生からは刑務所さながらの教育を行っている日生学園を勧められた。
高校1年次、脱走を成功させるも…:
浜田雅功は、日生学園へ入学した。
日生学園第一高等学校だ。
現在は桜丘高等学校へ名前を変えている。
脱走者続出で対策もされ、たとえ逃げてもすぐに捕まると言われてる。
そんな学校からの脱走を1年次成功させた。
脱走後、すぐに悪友である松本人志へ電話し、「お金を持って迎えに来て」
と、駆け付けた松本人志とあったかいうどんを食べる。
しかし、両親と話し合い再び日生学園へ戻ることになる。
高校2年次転校:
浜田雅功は高校2年次、日生学園第一高等学校から日生学園第二高等学校へ転校する。
日生学園第二高等学校は現在の青山高等学校だ。
高校3年生:
高校3年生に上がった浜田雅功は、副学寮長に任命される。
非常に頼れるリーダーポジションとして全生徒から慕われる存在に。
「下級生の失敗は上級生の責任」
というルールがあり、当時、下級生が失敗した時は、コンクリートの床になんと10時間も正座をさせられたとか。
「後輩芸人の今田耕司入学」
浜田雅功が高校3年生に上がった年に、今田耕司は日生学園へ入学した。
当時の浜田雅功について振り返ると、非常に怖い存在だったという。
ただでさえスパルタで怖い上級生、副学寮長ともなると尚更怖い存在だったはず。
有名な話ではあるが、今田耕司はこの日生学園から逃げ出し、逃走成功をはたしてる。
浜田雅功と一緒だ。
違いは、二度と戻らなかっただけ。
入学して1年後のある日、
この日のために今田耕司は綿密な逃走計画を立てていた。
見つかると連れ戻され怖い思いをするからだ。
そして決行。
無事、逃げれた今田耕司はそのまま中退した。
外部から完全隔離されたまさに刑務所さながらな同校。
唯一の情報源は、月に1度の散髪で坊主刈りする時に使用する新聞紙のみだったとか。
そんなスパルタ高校、修学旅行とかはどこへ行ったの!?
と思い調べると、
「遠足も修学旅行も当然ない」
とのこと。
スパルタ教育で培ったものを現在の芸能界のリーダーとして発揮。
日生学園魂が生かされてるのかも!?
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