昨今、テレビのバラエティー番組などでかなりの頻度見る芸人の一人として挙げられる人物が出川哲朗だ。
その人気ぶりは凄く、老若男女問わず人気だ。
何がそこまで彼を魅力的に見せてるのだろう。
容姿は決して良いとは言えないと思う。
喋り方もおかしい。
昔は不人気の代表格だったって本当?
人間、マイナスなイメージからプラスのイメージに持っていくのって難しいと思う。
はたして
「嫌われ芸人」
今となってはあまり嫌われてるという感じのしない、むしろ世間から好かれてるキャラの出川哲朗。
しかし、彼はその昔、まさに嫌われ芸人の代表格だった。
特に多くの女性からは、低身長・不細工・濁声という本人の特徴が嫌われており、「抱かれたくない男」ランキングは常に上位に。
まぁ、一昔前と言うと、男性は3高が求められていて女性の理想が高かったのも一つの社会的要因だったからかも?
声がキレイ、魅力的な人はモテるというのは時代問わずその通りかも。
当時、嫌われ芸人だったが今となっては老若男女問わず大人気のもう一人の人物もいた。
江頭2:50だ。
出川哲朗と非常に似た感じだなあ思いピックアップしてみた。
この2人の特徴はまさに体を張った芸。
当時、男の子やオジサンにはそれなりに受けてたのでは?
女性には受けてなかった。
しかし、現在はと言うと、
同じように身体を張った芸をしてても批判はされない。
多くの女性からも受け入れられてる。
出川哲朗はテレビの舞台で大活躍しているし、
江頭2:50はYOUTUBEの世界で大活躍している。
いったい、どんな風の吹き回しが起こりマイナスからプラスになったのだろう?
「実家は大金持ち出川哲朗」
今も昔も裸になりいじられ、笑いにする。
そんな出川哲朗は意外にも老舗のお坊ちゃまだった。
1964年神奈川県で生まれた出川哲朗。
実家は老舗の海苔問屋。
通学はベンツでお出迎えのまさにお坊ちゃま。
そんな彼が、なぜ、裸でいじられる芸人になったのか?
彼が高校生の時の事だった。
金持ち一家の家長、出川哲朗の親父さんが先物取引で財産を失いかけた。
家業の海苔問屋は破産寸前だ。
それまで悠々自適の過ごしてた出川哲朗にも危機を感じてた。
そして出川哲朗は家計を立て直す為に高校卒業後は料理人になることを決意する。
料理人になるあてはあった。
親戚の知り合いが京都で有名な料亭を営んでると聞いた。
そこで修行をすることになった。
その前に出川哲朗は準備期間として京都の尼寺で住み込み修行をすることになった。
「ウッチャンナンチャンとの出会い」
京都の尼寺での修行は出川哲朗には非常に酷だった。
還暦過ぎの尼僧との禁欲生活。
ここには自分と尼僧しかいない。
休みは月に1日のみであとはひたすら修行の日々だ。
話す相手がいなければ、遊ぶ相手もいない。
休日になると映画村などへ足を運んだ出川哲朗。
そこで目にした役者たちが凄く輝かしく見え、
「役者になりたい」
と、出川哲朗は思った。
料理人になる夢を辞め、役者になる。
出川哲朗の決意は固く、親に頭を下げ、日本映画学校(旧横浜放送映画専門学院)演劇科に入学を果たす。
俳優を目指した出川哲朗。
同じく俳優を目指す南原清隆と映画監督を目指す内村光良と出会う。
そう、後の「ウッチャンナンチャンだ」
当時、最初は3人共芸人になろうとは思ってなかった。
授業の一環で漫才をやることになった南原清隆と内村光良。
これを気に彼らはお笑いの道に目覚める。
ウッチャンナンチャンというコンビを結成させ、どんどん人気になっていった。
深夜番組「笑いの殿堂」、「夢で逢えたら」へ出演し人気物になるウッチャンナンチャン。
同じころ、出川哲朗は役者として映画出演などを果たしていた。
「男はつらいよ」などへ出演する中、さらに自分の名前を売りたい。
そう思った出川哲朗は積極的にウッチャンナンチャンの番組「バラエティー番組」へ出演するようになり、また、体を張るという芸風も磨いていった。
いつのまにか出川哲朗は「リアクション芸人」となる。
体を張り始めたころは、女性などに嫌われてた出川哲朗もその努力、実力が実り今となっては老若男女問わず人気者となった。
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